優しき歌 との出会い[中編]
日本語の心のメッセージを大切に
立原道造の詩の世界は、「優しき歌」のように、恋愛を主題にしている、ものが多い。それは単に、一人の男性が一人の女性を愛したというような、ただそれだけの話しだけではなく、恋愛を通して他の世界に移行しようとする、筋書きを持ったものが多い。つまり恋の対象になる女性と、追究したい詩(良い詩を書きたい)という気持ちの二つの世界が常に回っていて、その接点を探し求めていたように思う。それが立原自身の心の中に、もっていた「あこがれ」につながっていたのではないだろうか。
そのローマン主義的な昇華といったテーマも、音楽の世界にたとえると、シューベルト、ブラームス、ベルリオーズといったような、大掛りな楽想を持ったローマン派ではなく、その前のチェンバロなどが絶えずキラキラと鳴り続けるバロック音楽のような形で現われてくるように思う。彼の恋愛体験の幾つかは、実らない恋だったわけで、その願望のようなものが、たとえば、ちょっとしたエピソードのたびにどこかに秘められていて、人目の付かないような所で、かすかになまめいている、といったような感じをもつ。したがってこの曲を歌うにあたって、その繊細な心の動きを表現する上で、まずそれに対応できる声づくりが必要になってくる。昭和55年のコンクールで歌った「また落葉林で」の時は、声が咽喉に少したまっていたために全体的に固く重い声になっていて、音程も不安定な個所があった。その反省点をもとに、次年度のコンクールに向けて次のような点に注意して声づくりをした。
○咽喉で声をつくるのではなく、息の流れで歌う。
○咽喉をあけてしまって、吠えるような声にならないように。
○ソリスティクな声で歌うのではなく、ハーモニーを重視し、詩を語る意識を持つ。
○身体は自然体を保ち、支えの上に立つ。声のひびきで歌うように(この訓練は大変難しい)。
一言で言うと贅肉のついた声であってはならない。つまり感情移入を受容できる空間を有する声づくりが必要である。
以上の問題点を克服すべく一念発起で発声を変えたのである。その甲斐あって昭和56年の「爽やかな五月に」では、人々に感動を与える演奏ができたと自負している。
この小林秀雄作曲「優しき歌」は小林先生が20代から立原道造に傾倒していて、30代後半に書かれた珠玉の作品である。そこには長い間作曲したいという思いが込められている。
小林先生は「音楽−いや、すべての芸術は−いかなる国、いかなる時代、いかなる民族であれ、人間の心から心へのメッセージであるはずです。合唱音楽にあって、コトバの働きが伝わらなければ、メッセージにはなりません」と常におっしゃっている。
しかし現在の合唱界において、特にコンクール等で、依然として言葉を無視した、また言葉の意味の理解に苦しむ、難曲が多く取り上げられている。それらの選曲が一流の合唱団の証と言わんばかりである。我が国の合唱界は近年とりわけ素晴らしい発展を遂げている。が、発展と同時に、それは何か合唱界にのみ通じる独特な言語で満たされた、一風変わった世界を形成しているように私は思う。
技術、声への偏重、これは発展のために必要なことは否定できないにしても、音楽の自然な息遣い、フレージング、そして人間の深奥に潜む感情をどこかに置き忘れてしまっているように思われる。
高校の部においてもその傾向が強い。実に残念なことである。高校のクラブ活動で培った、心条を糧とした若者の命を輝かせる音楽の場であるはずなのに、難度を競うだけであったとしたらあまりにもむなしい。日本人の合唱だからこそ、せめて高校生には、日本語の心のメッセージを大切にした音楽であってほしい。合唱指導者は、風潮に流されるのではなく、もっと主体性(ポリシー)をもつべきではないだろうか。
後編−適度なアゴーギクで言葉のニュアンスを に続く [<font color=#ffffff>こちら</font>]から