演奏の緊張と喜び
様々なコンサートが毎日どこかで行われている。特に東京ではクラシックからポピュラーを含めると、一日だけでも相当な数になる。コンサートに行くとよく受付で袋詰めにしたチラシをどっさりくれる。荷物になるので一通り目を通して捨てて帰ることもあるが、めぼしいチラシがあると、そのコンサートに出かけていく。普通はこのように興味、関心のある又は好みの演奏家や楽団(合唱団)などの演奏会にお金を払って行くわけだから、ほとんどは満足して帰ってくる。時には義理で行かなければならない場合もある。そんな時はじっと我慢の子である。後で感想を聞かれて言葉に困ってしまう。日本人は律儀なので、どんな演奏を聴いても一応に拍手をするが、私は演奏者のためにも習慣で拍手をするのは反対である。
平混のコンサートでも、私達の合唱に興味をもち聴きに来て下さるお客様には本当にありがたいという気持ちと同時に、その期待にそわなければという思いは常にある。しかしコンサートには必ずしも、聴きたくてこられるお客様ばかりではない。その方々に次にも来たいと思ってもらえる演奏こそ私達の目標である。
今までに一番プレッシャーを感じたコンサートがある。それは昭和女子大学文化研究講座というコンサートで、これは学生に本格的な音楽を聴かせたいという、前学長の平井聖先生の企画によるもので、国内外の著名な演奏家が出演する。合唱ではウィーン少年合唱団を初めとする、すぐれた合唱団やウィーン弦楽四重奏団などの楽団、そしてソリスト達である。私達にしてみればそれを居ながらにして聴ける学生達はうらやましい限りである。そこに平混が出演してほしいというお話しを頂いた。大変光栄でうれしいお話だが、超一流の演奏家と肩を並べることへのプレッシャーと、学生達は音楽を鑑賞するということ以外に単位取得のためという目的もある。その学生達を魅きつけなければというプレッシャーで、今までにない緊張感で一杯であった。しかも過去に演奏中足元でレポートを書いたり、途中で出ていってしまったりして、ある日本人の演奏家が途中で怒って帰ってしまったことがあるというのだ。こんな話を聞いてしまったら、増々不安はつのる。合唱はどちらかというと地味で暗いイメージがある。若い女子大生が合唱を興味をもって聴いてくれるだろうか? しかしそんなことばかり考えていても仕方がない。平混の気持のすべてを歌えば、必ず何かを感じてもらえると信じて、悩みぬいた末、プログラムを組み本番を迎えた。昭和女子大人見記念講堂は広く、客席との距離もあり、その反応も感じ取りにくい。その中1曲2曲と曲目が進む、何と学生達が真剣に耳を傾けてくれるのだ。その安心感からか、後半の演奏にも熱が入り、最後の曲が終った時、なりやまぬ拍手で、皆安堵感と喜びで思わず口元がほころんでいた。アンコールを用意していなかったので、こんなに喜んでもらえるのなら、アンコールを用意しておけば良かったと思う程であった。舞台袖で皆口々に“ヤッター”という言葉がとびかった。
このコンサートは今年で5回目になる。