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平松混声合唱団 Official Web Site

クラリネット、そして歌。

私は高一の夏からクラリネットを習い始めた。それまではクラリネットという実物の楽器を見たことも触ったこともなかった。それなのに、なぜ興味を持ったのか。それは、あのすばらしい音がたまらなく好きだったからだ。気品があり、まろやかでやさしく、奥深い。そのうえ説得力がある。そんな音にあこがれ、始めたのだが、その音への道は果てしなく遠かった。孤軍奮闘して通ったレッスンも私には、ほろ苦い思い出ばかりだ。管楽器は単旋律(メロディー)しか吹けない。だから音が命、音が悪かったらもう話にならない。


大学の頃のレッスンの先生は音にはとても厳しかった。音がよくないと何も言ってもらえない。ただ黙って首を横に振るだけ。そんな時はもうどうしてよいか冷や汗をふくだけ。頭の中は真っ白になってしまった。だから、どうしたらよい音が出るかが最大の課題であった。世界一流のクラリネット名手の音は、甘く、切なく、また軽やかで、私の心を振るわせ、夢の世界へ誘ってくれた。どうしたらあんな音が出るのだろう・・・。テクニック(指を速く動かす)をつけるのなら、スケールやエチュードをひたすらさらえば何とかなる。ただ、音は自分の耳をたよりにその方法を見い出さなければならない。その楽器の最高の音を出すために・・・。それが管楽器奏者の宿命なのだから。


私が合唱指導を始めた時、専門的に発声を勉強したことがなかったから、その方法(発声法)は解らなかった。しかし、自分の中には確かな目標とする声があった。その声に近づけようと、生徒と一緒に声作りを暗中模索していった。それは、クラリネットの音作りと同じであった。今考えると、固定的な発声法を習わなかったことが、よかったと思っている。私の求める幅広い発声法を習得できたから。


人間の身体も一つの立派な楽器である。管楽器や弦楽器と同じように、透明で自然な響きが求められる。そして、その響きが言葉を伴って、人の心の扉をたたく。そう、歌には詩の世界があり、聴き手に詩のメッセージとして伝えることができる。これは私にとって大きな魅力であり、喜びでもあった。


音楽は、人の心をおどらせ、人の心を揺り動かし、人の気持ちをしみじみさせる、心温まるものである。聴いて下さる方々が、本当に楽しんで頂けるように、演奏者は最大の努力をしなければならない。それは、技術的なことだけでなく、音楽人として、社会人として、常に自分を見つめ、心身を豊かにしていくことが必要である。音楽(特に歌)はその演奏にそれらが投影されてしまうからだ。自己満足や独断的な独り善がりの演奏にならないように。


合唱を通して、宗教曲からポップスまですべてのジャンルの曲を歌っていきたい。しかし、その反面、それぞれの曲を歌い分け、その歌の世界を表現しきるのは至難の技であり、それが合唱の魅力でもある。


そんな苦労が報われるのは、お客様に「仕事のことで落ち込んでいたけれど、平混の歌を聴いて、勇気がわいてきた、明日からまたがんばります」 そんな言葉をもらった時など、本当に嬉しい。


先日、ピアニストの渕上君がこんな話をしてくれた。彼がピアノを教えていた年配の女性の方が、平混のファンであったが、病気になられ、入院中、平混のCDを毎日のように聴いて下さり、お医者様の思っていたより、ずっと長生きなされたのだと・・・。その話を聞いた時、団員全員で涙してしまった。


合唱は気心の通い合った仲間と、その音楽の心奥を聴いて下さるみなさまに、自分のすべてを託し、声にのせてメッセージとして伝えるものだ。それが伝わった時に、平混の合唱は虹色に輝くだろう。