私の心を動かした人達
長年演奏の仕事をしていると、自分の演奏への考え方、表現がかなりその時々によって変化していることに気づく。 それは、すぐれた演奏に出会ったり、いろいろな人達との出会いにより、その影響を受けて変わってきているのだと思う。
演奏に対しては、確かな自信とポリシーを持つ と同時に、常に客観性を持たなければならない。自己満足や押しつけがましい演奏だけはしないよう心がけている。その音楽を演奏者と聴衆が共有でき、かつ共感できてこそ、“表現”が成り立つのであって、一方通行では表現とは言えないから。
私の恩師であるクラリネット奏者である三島勝輔先生から、レッスンの時に教えて頂いたことが今でも心に残っている。
先生からは、「教師になって生徒に音楽を教える時に大事なのは、機械的にただ曲を聴かせたり、演奏させるのではなく、その音楽に対する自分の“素敵だなぁ”とか“すばらしい!”という気持ちを伝えることだ。つまり、その音楽を生徒と一緒に感じあうことが大切だ」と教えられた。先生はいつも私たちのことを常に思ってくれる、私の尊敬する先生であった。
そして、私の敬愛する作曲家の平吉毅州先生。 そのメロディーの美しさもさることながら、その作品では各パートに必ず主旋律を歌わせてくれる。これは先生の歌う人に対しての思いやりである。(一般的には、とかくアルトなどは、音程の幅が狭く、和音をつかさどる音に終始する場合が多い)
先生は、コンサートが終わって、その歌のメロディーをお客様が口ずさんで帰ってもらえるような曲を書きたいと、常におっしゃっていた。また自分の作品については、「自分の手から放たれたと同時に、もう歌う人のものだから、多様なとらえ方(解釈)で歌ってほしい」ともおっしゃっていた。音楽には大変厳しかったが、その反面自分の作品には、謙虚であった。常に相手を思いやる心を持ち、私もたくさんのことを教えて頂いた。若い作曲家のなかには、自分の作品を専門用語を用いて、長々と解説し、いかにも音楽は理論的構造を把握していなければならないと言わんばかりの作曲家もいる。残念ながら、そのような作品にかぎって内容が乏しいことも多いのだ。
もう一つ、感動した話がある。私の勤めていた高校の定時制に、第10回ショパンコンクールで特別賞を受賞した、ピアニストの有森博氏が演奏に来るという話があった。「えっ! あのショパ ンコンクールで入賞した有森博が」と耳を疑った。その定時制の音楽教師と芸大で同級生だということらしい。それにしても、わずか50人前後の生徒の前で弾いてもらえるということには驚きであった。けれど案の定、生徒たちは、演奏中の私語もあり、態度も決してよいとは言えず、こちらもハラハラして聴いていた。途中で怒って帰ってしまうの ではないか、という不安もあった。演奏が終わって、教師たちが口々に、 聴く態度を詫びた。
しかし、なんと有森氏は、「私の責任です」と言う。続けて「チケットを買って私の演奏を聴きに来てくださるお客様は、当然大切ですが、私の演奏にまったく興味も関心もない人達を魅きつける演奏こそ、私の課題です」と言うのだ。20台の若手ピア ニストの言葉とは思えない。これこそ本当の芸術家(演奏家)の資質を持った人だと確信した。それ以来、私は彼のファンになり、何度かコンサートにも足を運んでいる。
このように、演奏家、作曲家、教える立場の人達は、自分の音楽に対する自信や責任と同時に、常に相手の気持ちを大切にしなければならない。聴き手があっての演奏なのだから。