平混結成30年で思うこと
昭和50年代から60年代にかけて、私が指導していた都立八潮高校は、NHK、全日本コンクールで全国レベルにあった。毎年3年生とのコンクールにかける想いは熱かった。その年の3年生との結びつきが、演奏に反映するからだ。その結びつきが強ければ強いほど、新3年生との新しい出発が、気持ちの整理がつかず遅れてしまうのだ。つまり軌道修正に時間がかかってしまう。できることなら、このまま心の通った仲間たちと歌い続けたい。そんな想いがつのり、昭和56年全国制覇をした生徒の卒業を機に、平松混声合唱団が結成された。今年で平混も30周年を迎えた。その時、こんなに長く続くと誰が思っただろう。結成当時のメンバーは団長以外、誰も残っていない。今はその後、八潮を卒業した人達と、次に赴任した都立三田高校卒業の人達がコアになっている。あらためて人の出会いは偶然ではない、運命的なものだと感じている。
今も平混の根底に流れている精神は、結成当時の想い “同じメンバーで歌いたい” そのことへの感謝の気持ちと、団員同士が馴れ合いにならぬように、本音でコミュニケーションをすることで、その時の熱い想いを今も持ち続けることだ。
あの時代には、詩の世界を彷彿とさせ、人の心に深くしみ入るすばらしい作品にめぐまれていた。その作曲家の先生方は、今もなお活躍されている、大中恩、小林秀雄、湯山昭、佐藤眞、飯沼信義の諸先生方、そして今は亡き、中田喜直、石井歓、高田三郎、寺島尚彦、平吉毅州、広瀬量平、どの作品にも先生方のポリシーが脈々と流れていて、演奏者はもちろん、美しいメロディーは聴き手を詩の世界に運んでくれる。
その作品は、今なお輝き続けているはずなのに、最近あまり耳にしないのはなぜだろう。今コンクール等で、もてはやされている曲は、技術偏重主義で、この難曲を見事に歌いきったぞ、と言わんばかりの大見得をきる曲が主流になっている。先日NHKコンクール中学校の部が、FMで放送されていた。それを聴いていた人が「一瞬悲鳴のような声が聞こえて、何を歌っているのか、皆同じで良くわからなかった」と言っていた。今やその傾向は中学生の合唱にまで及んでいる。何か生徒がかわいそうな気がする。中・高生には、音楽を通して「心」を育んでほしい。
おそらくコンクールで、そのような曲を歌う学校が上位を占めると、どの学校もコンクールに勝つために、その学校の許容範囲以上の難曲を選曲するようになる。やはり作曲家は自分の曲を沢山売りたい訳で、同じような傾向の曲が量産され、どんどんエスカレートしていくのだろう。
「さとうきび畑」「鎌倉は子守歌」のような、美しい作品を沢山作曲されている寺島尚彦先生がおっしゃられた言葉を思いだす。「作曲を勉強する人達は、必ず現代曲を書かされる。したがってそのような機械的な曲は誰にでも書ける」 寺島先生の作品は詩が、そのメロディーを待っていたかのように言葉に命が注がれているのだ。今流行している曲は、心に残るメロディーが少なく、技巧的で深みがない。それを感じているのは私だけではないように思う。
人間の心にひたむきな作品が新しく生まれる日が、いつかまた来ることを信じる。