「時代」平井聖先生 メッセージ

■私の音楽の聴き方

建築史家:平井聖



私の音楽の聴き方は、普通の人は違っているのではないかと思ったことがあります。

以前、同じ職場に勤めていた音楽通の友人に、昨夜の演奏会はどうだったかと聞かれたときのことです。私の勤めている昭和女子大学では、学生に本当の音楽に触れてもらうために、文化研究講座という名の下に、年間20数回キャンパスの中にある創立者記念講堂(学外に向けては人見記念講堂とよんでいます)で、内外一流の演奏家による演奏会を催していますので、その友人と同じ会場で、同じ音楽を聴く機会が多かったのです。彼は以前新聞社で論説を書いていたこともあって、音楽評が専門ではなかったはずですが、理路整然と演奏のよしあしを論ずるのです。翌朝顔を合わせると昨日の演奏はどうだったかときかれるのですが、ピアノの曲ならともかく、オーケストラの場合など曲の楽譜を勉強したこともなければ、いつも演奏の細かいところまで気にしながら聞いていたわけでもありませんでしたので、毎回返事に窮したものでした。

私にとって好ましい演奏とはどういう演奏なのだろうかと、考えてみたこともないわけではありません。考えても、たいした結論は出ずじまいです。音楽に素人の私は、演奏会に行ってまで、しかつめらしい顔をして、聞きたくはないのです。まして演奏のあら捜しなどしたくありません。すんなりと受け入れられる演奏が好きですし、知っている曲ならその曲に対するイメージを壊してほしくはないのです。−時には、思ってもいなかったような演奏で、目から鱗ということが無いわけではありませんが−。

初めて平コンの演奏会に出かけたのがいつなのか覚えていませんが、その演奏会は平コンによる寺コン−寺島尚彦作品の演奏会−でした。それ以来何回も聞いているのですが、寺島さんがなくなるまでは、すべて寺コンでした。寺島尚彦の作品は、ヴォーチェ・アンジェリカが歌ったドーナッツ盤やラジオ・テレビで聞いて魅せられていたのですが、平コンの演奏を聴いて、こんなに寺島作品にふさわしい合唱団が存在するということを初めて知ったのでした。

昭和女子大学で文化研究講座での演奏会の企画に意見を述べることができるようになった機会に、寺島尚彦さんに学生のための演奏会をお願いしました。そのときに、もちろん平コンも出演してくださったのです。この演奏会は大成功で、学生のレポートには、サトウキビ畑などの演奏を聞いて涙が止まらなかったという感想がいくつも見られました。このとき以来毎年、平コンには演奏会を企画していただいています。年度のはじめ、4月の終わりから5月ころに、初めて本格的な音楽に接する新入生たちも音楽が好きになってくれるような企画をと、お願いしています。選択はできるとはいえ、必ずしも平コンの演奏が聞きたくてくるとは限らない学生を対象とする演奏会は大変プレッシャー、という声が団員の皆さんの中から聞こえないでもありませんが、感想文では十分な手ごたえを感じています。

今回のアルバムは、誰にも聞きなれた曲で構成されています。私にとってあまり親しみのない曲ほど、若者たちにはよく知られた曲のようです。というのは、私が、派手ないでたちで、歌手といわれる人たちがマイクを片手に、あまり意味があるとは思えない振りをつけて歌う、テレビ番組がきらいだからです。まじめにしっとりと自分の曲を歌う歌手には共感を覚えないわけではありませんが、大半は気に入りません。必要のない、そして楽譜にない勝手な節回しで歌ったのでは、その歌のよさがわからないではありませんか。売れることだけが目的の作曲家にはどちらがいいのかわかりませんが、このCDに収められた平コンの歌声を聴いていると、作品の魅力、作品の本当の美しさが伝わってくるのです。これこそ音楽だと思います。この歌声が、日本中に、世界中に、響き続けと願っています。

このウインドウを閉じる